門と玄関の昔話について

仙台のリフォームなら東北ホームテックにお任せください

玄関は住人のステイタス?

家相の一つに門が大きく、家が小さいのは凶相というのがあります。

身分不相応な門を作れば凶運を招くし、美観上もよくないということです。

日本人の心の中にある玄関のイメージは、単なる出入り口ではなく、住人のステイタス(身分)の象徴でした。

漱石の『坊っちゃん』の中に、主人公が老いた女中に自分の将来像を予想させ、この婆やが、坊っちゃんは将来立派な門構えで、立派な玄関のある家に住むようになるだろう…というくだりがあります。

明治の末、維新依頼半世紀近くたってのことです。

許しが必要な門・玄関づくり

明治維新後は、誰でも玄関をつくることができるようになりましたが、封建時代には、一般庶民はその住宅に門や玄関を設けることが許されていませんでした。

門や玄関を設けるにはそれ相応の身分が必要でした。

だから立派な玄関のある家というのは、その玄関の格式に従った身分の高い人の住宅ということになりました。

しかし、江戸の末期には「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」という戯れ歌にもあるほどの豪農・豪商もあらわれましたが、生活諸般には厳しい規制があって、玄関は名主以上でないと設けることが出来ませんでした。

そこで、こうした豪農・豪商は自宅に殿様をご招待したいというようなことを申し出ることで、自宅に殿様が来訪した時に、殿様が通過するだけのための玄関という名目で、やっと自分の家に玄関を設ける許しを得ていました。

ところが、その玄関はあくまでも殿様用のもので、いくら金持ちの豪農・豪商でも、士農工商の身分差別の中にあって、彼ら自身は玄関からの出入りはできなかったのですから惨めな話です。

潜り戸は身分差別の象徴

その庶民の言いようのない惨めな生活の象徴が潜り戸です。

庶民は自分の家に出入りするのに、腰をかがめ、頭を低くしてくぐり込まねばならなかったのです。

街の中を歩いていても、向こうから侍が来れば腰をかがめ、頭を下げて通り過ぎなければならず、その腰をかがめ頭を低く下げる習慣をこの出入り口を通過するたびに余儀なくすることで、農民や一般市民に対しての良い躾ができたと偽政者は喜んでいたのかもしれません。

潜り戸はそういう目的で作られました。

だから、庶民の身分差別の象徴でもあります。

また、たとえ武士でも懲罰として逼塞とか閉門というような処分を受けると、門扉を開閉することはできなくなりますが、潜り戸を使えば出入りできました。

そこが当時の法律の面白いところで、「門をたて、夜中くぐりより目立たぬよう通路するは苦しからず」と御仕置仕形文事として記されているほどです。

このように、潜り戸の歴史は、腰をかがめ頭を低くして出入りする、封建時代の非圧迫階級への惨めな規制でした。

現代の住まいにも、正門と潜り戸をしつらえるケースが少なくありませんが、門や玄関をつくる場合には、こうした歴史や背景を踏まえておきたいものです。お客様に合った仙台のリフォームや増改築のご提案もお気軽に当社へお声がけくださいませ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする