家は「見栄」でつくるものではない

東北ホームテックは、家は「見栄」でつくるものではないと考えます

家は見栄の産物か?

家がステイタス・シンボル、あるいは見栄の産物という一面を持つのは、やはり否定できないところです。「一国一城の主」「男の甲斐性」などといった言葉に、どうも日本における主人たちは弱いように感じます。
「豪華で優雅なマンションライフ」などという言葉に、奥さまたちは主人の尻を叩かずにはいられなくなるようです。家を売る側も心得ています。日本語の「マンション」という言葉が象徴的です。もともとマンションとは、領主や帰属の大邸宅をさすものです。街に氾濫するハイツ、ヴィラ、シャトー、カーサ、パレスなどの呼称にしても、本来の意味はお城、宮殿、大別荘であり、日本の2DKや3DKのマンションとは何の関係もない言葉となっています。
しかし、人々はそこに人生最大の買い物、家族の障害目標を掲げているように感じられます。

ローン返済のために犠牲になるもの

マンションを購入するにしても、20年〜30年のローンを組まずに手に入れられる人などは殆どいないことでしょう。20年か30年の間、毎月返済して、ボーナスが出れば数十万をごっそり持っていかれます。
稼いだ給料の大半が返済の穴埋めに消えていきます。
この先、インフレがどんどんと進んでくれればいいのですが、ゼロ・シーリング、ときにはマイナス・シーリングの時代、この債務の返済はどうなっていくのでしょうか。

家は家族の生活を包む容れ物です

しかし、それでも人は「住まい」を欲し、「わが家」を購入するのです。
これはもう、住宅を買い、わが物にすること自体が目的化してしまっていると言われても仕方がありません。
当たり前のことですが、忘れてはいけません。
住まいとはもつこと自体が目的ではなく、そこでどのような生活を営んでいくのかが肝心なのです。
家族が増えることによるリフォームなども考えていく必要もあります。
「居は気を移す」といわれ、人間が住まいをつくるように住まいが人間をつくる、といわれます。家が見栄の産物で在り続ける限り、家は家族の生活を包む容れ物たる「住まい」とは成り得ないことを、忘れないようにしたいものです。

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