住まいには「間」が必要

日本独特の「間」をしっかりと考えたリフォームの提案なら仙台の東北ホームテックへ

間抜けにならないようにする

西洋音楽では「間」というものは一種の休止符で表わされますが、日本の音楽においては、その「間」がむしろたいへん大切な部分になり、単なる休止符ではなくなってきます。
これは日本の音楽の特質でもあるわけで、日本の音楽がそれだけ記号化されていないプリミティブなものだといえば、たしかにそうといえるのかもしれません。
しかし、例えば謡曲で鼓の音がポンと鳴り、しばらく時間があってまた鳴る。
その何もないところが「間」となります。
その何もない非常に重要な部分がキチンととられていないと、それを間抜けというわけになります。

日本独特の「間」

西洋人に間抜けの意味をわからせるために、英語に翻訳して何もないところはエンプティだといっても、それは当たり前ではないかということで、のれんに腕おしですが、日本人にはキツイ悪口雑音ということになります。
それは、日本人なら、かなり間抜けな男でも何もない部分がたいへん重要だということを知っているからです。
要するに日本の言葉で、床の間だとか茶の間だとかいうような、言い慣れている「間」という言葉は、英語に翻訳しようがないということになります。
茶の間がティールームというのは、たしかにお茶を飲む場所だからかもしれませんが、床の間がベッドルームでないのは当たり前です。
床の間をベッドルームと翻訳すべきなのかどうか、英語に翻訳できないものはすべて日本文化のプリミティブの所産であるという誤解から、われわれの日本文化がかなり軽蔑された時期がありました。
しかし、われわれがもっている日本の文化、特に「間」という概念は、それなりのレーゾンデートルがあって存在しているものであり、それが和風というようなかたちで残っていると断定してもいいでしょう。
例えば床の間の話ですが、床の間が日本の空間の中でどういうものか考えてみる場合、西洋人には理解できない空間となります。

良い意味での「間」を大切にする

二畳台目という小さな茶室について考えてみます。
二畳台目というのは二畳と、台目という一畳の四分の三ぐらいで一枚になっている畳からなっている、たいへん小さな部屋です。
二畳台目の部屋に茶席があって、そこに一畳くらいの床の間がついている。
二畳台目に一畳の床の間だから、全面積の四分の一以上が床の間に使われているわけです。
床の間というのは一見何にも使われていない場所で、そこはまったく間抜けな場所だといえますが、その間抜けな場所があることで、二畳台目の空間の中にわれわれは宇宙を感じ取れるのです。
日本人というのはかなり負け惜しみ精神が旺盛なので、そのせいかもしれませんが、一畳の床の間、すなわち一見ムダな空間を持つことで、非常に狭い空間の中に宇宙を感じるような教養、文化をつくったのです。
こうした例から考えてみると、日本の住まいの中の「間」というものは、無限の広がりを持つようなムダであり、このムダのあるところが、日本の住まいの良さになっていることがわかります。
なので、最近の合理化された住まいを見ていると、どうも息苦しいと感じます。
それは本当の「間」が抜けているからだといえます。
住まいを考えるとき、この「間」の役割を忘れないようにしていきたいものです。
当社におきましては、住まいの「間」についての意識と認識をしっかりと考え仙台のリフォームにおいてお客さまにあわせた対応を心掛けております。

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